ダンス句詠み始めた動機



ダンスの歴史と盆踊り俳句


       
づかづかときて踊子にささやける   素十      

 踊句で先ず思い浮かぶのは高野素十の俳句です。
 山本健吉はこの句を盆踊りの情景と解説します。実際は作者が外遊先で見た舞踏場の光景であるようです。素十は西洋で盆踊りと異質文化の社交ダンス即ち 
Ball Room Dance を舞踏場で始めて観ました。しかしこの句に何等西洋を暗示する語句が無いこと、季語「踊子」を使っている以上、盆踊句として鑑賞を期待していると言うのが定説です。

 山本健吉のこの句評はどうもしっくり来ません。
 風紀取締係りの警察がかかわるほどに、ダンスに対する「偏見」が強かった時代のことですから、師高浜虚子の顔色を幾分窺いながら俳句の常識に照らし無難に素十句を論評したように思えてなりません。西洋のダンスホールの光景を詠んだのに、何故盆踊句とこじつけて論評したのでしょうか


 大正〜昭和初期、東京大阪のダンスの大流行は、公序良俗に反する排他的な由々しき社会問題とされていました。熱狂的な一部のダンス愛好家にとっては、まさに逆風と戦う誠に不運な時代でした。日本と欧米文化の本質的な違いに関し、知識階級の人々は、冷静に社会のなりたちや歴史的な発展の経緯の差から、考えをめぐらせなければならない逡巡自嘲の日々でした。
 
 
Mixed Cultureつまり西洋文化と俳句文化の邂逅 として山本健吉は素直に評価できなかったかもしれません。世界の多様なダンスの歴史を経て今日、日本のダンスのスタイルは五つに分類されるようです。

 ヒップホップやブレイクダンス等のストリートダンス系、フラダンスやフォークダンス等のような民族舞踊系、協会連盟管理のJBDF(
日本ボールルームダンス連盟)やJDSF(日本ダンススポーツ連盟)等の(社交)10ダンス系、マンボ、ジルバ、ブルース等のパーティダンス系、バレーや創作ダンスの芸術舞踊系の五つです。

 そうしたカルチャーを議論する上で、多様な歴史に彩られる欧米ダンス文化と俳句・短歌等の短詩系文化の融合が、必ずしも日本で馴染んできたとは言い難い面がありそうです。『和魂洋才』や『叙情』を頑なに拒む傾向は、現代俳句の世界でも少なからず、いや全国津図浦々の俳句・短歌結社の中の主宰崇拝の傾向とともに、色濃く残されているように思えてなりません。
 日本的
Dance Poetry ダンス句(D句)発想動機がここにあります。


踊句ファンにお詫び

 俳句の季語で「踊り」と言えば、お盆の季節に広場や境内での盆踊りや地場踊りを指すのがあたりまえです。社交ダンス、フラダンスやヒップホップを指す例は、殆ど皆無と言わざるを得ません。

 本サイトでも、パラスポーツの普及もあってか、ダンス教室のパーテイーで観る機会があった、車椅子ダンスの系を詠んでおりますが、未経験のヒップホップやフラダンスの系には触れてはおりません。

 あくまでもこの一連サイトでは、ペアで踊るー(社交)
10ダンスの系、そのシックで華麗な景色、その踊り手の複雑な内面、はやる心の裡を詠んでおりますことをお断りしておかねばなりません。
 
10ダンスとはスタンダード5種目(A)とラテンアメリカ5種目(B)を指し
  (A) Waltz,Tango,Slow-Foxtrot,VienneseWaltz,Quick
  (B) ChaCha,Rumba,Samba,Paso-doble,Jive を指します
 
 素十の踊句や盆踊りファンの方々には誠に申し訳ありません。
 俳句素人の藪睨説としてご容赦ご放念下さい。既存俳論の定説をダンスの一ファンの別視点で見直してみたくてダンス句(
D句)を詠み始めました。

 今までの踊句、ひいては今後の広義ダンス句鑑賞の戯れの一助となれば幸いです。今後ともダンスも俳句も同時に愉しむ人が少しでも増えることを祈りながら、一言お詫び申し添えます。