ダンス句イントロダクション


俳句と短歌のクロスオーバー
 山口誓子 西東三鬼 三橋鷹女以後,ダンス詠俳句がみつかりません。
 日本の伝統俳句にダンスは相応しくなかったからでしょうか
? 
 俳句詠みで踊れる人が少なかったからでしょうか
? 現在 俳句人口200万人、ダンス人口略同数の200万人と言われています。 

 何故趣味の重複が起こらなかったのでしょうか
女流業俳家にダンス詠の俳句が生まれてきてもよさそうですが・・・ダンス川柳や艶句(バレ句)は見かけますが 俳句や短歌との取合せは極稀です。今もってその理由が解りません。

 かってNifty Forum にUPしたダンス俳句とダンス短歌 クロスオーバーの試みをここに紹介します。ご承知の如く、俳句17文字 短歌31文字です。
 ダンスカップルの、華麗で煌びやかな肢体の動きや、妖艶な表情を詠うには、やや品位を欠く艶句(バレ句)よりも短歌がむしろ適しています。

 昔Nifty仲間から「初のダンス俳句
」「ダンス句の創始者」と言って持ち上げられ煽てられた経緯がありましたが・・・俳句と短歌とのクロスオーバーの試みが果たしてここに上手く表現できていますでしょうか

 ダンス詠俳句は品位を欠く下衆の極みで、品性や人格を尊ぶ短詩系文学を冒涜することにあたるのでしょうか
いささか心もとないない限りです・・・。
 現在の日本では、欧米渡来のダンスと伝統の短詩系文学との取り合わせは、艶句を連想させるので忌むべき邪道とされ、異質・異端と思われがちです。

 ダンスの歴史の長い欧米諸国では、全く逆の様相を呈していたのです。幼少期から互いの身体を接触させ、ハグ・抱擁やキスで挨拶してきた欧米人との大きな違いでしょうか
即ちDance Poetry としてダンス詩(Poem)、神との対話(ミサ)、呪力・祈り、エロス愛や女体機能美を包括するダンス文化と、ダンテの「新曲」やシェークスピアの「Sonnet 18」、無伴奏のグレゴリア聖歌等、脈々と受け継がれてきた詩の文化との融合は、何等疑問を差し挟む余地のない日常として、音曲を伴いながら叙情を詠い込む詩歌(オペラ)として、性愛の喜びや心情を吐露する魂の叫びとして、共有認識されてきた歴史があるからです。

●俳句と短歌の叙情性

 昭和初期  水原秋櫻子 阿波野青畝 山口誓子 高野素十は高浜虚子「ホトトギス」門下の4S  または西〈青誓〉東〈秋素〉と呼ばれましたが、俳句に短歌的叙情を持込んだ秋櫻子は昭和6年、誓子も昭和11年相次いで虚子門下を離れます。忠実な素十は客観写生を守り「叙情を拒否して叙情を得た」と評価されています。

 短歌の流れるような叙情の調べは、むしろ俳句の世界では忌むべき邪道とされ、短さ故に流れを絶ち叙情を突き放すのが、最良の品格とされてきたからです。
 ここにダンスが詠まれなかった最大の理由があるような気が致します
・・・

 昭和初期(
1946年に雑誌『世界』で)仏文学者桑原武夫は第二芸術論を展開しました。
 高浜虚子を名指しして批判し大変話題になりました。しかし当時の俳壇で最大勢力だった高浜虚子らのホトトギス派は、何故か何ら反論できなかったそうです。

 批判の論旨は、「俳句は、その流派の宗匠や師系を絶対的に尊重しながら、宗匠の作る句を無条件で有り難がる傾向があり、結社仲間や同好者だけの極く狭い限定世界に生きる人々の、粋を気取どる手遊びの文芸、つまり
2nd Rankの芸術だ」と。
 
 結社の歌人や業俳家は、動的拡大能力よりむしろ心象静的理論に優れており つまり運動は不得意(
ダンス音痴?)で肢体制御や感覚(リズム音痴?)を司る右脳よりも 言語や理論を司る左脳が発達した人々 時には病気療養 異常体験や逆境から立直りたいと・・ または既に克服した人々から成る文芸集団であったのかもしれません。

 やや俳句傍系になりますが 大脳生理学者品川良夜(
本名嘉也)がネットで提唱した 「右脳俳句」はユニークな活動です。電脳歌人は今時珍しくありませんが、WEBで展開する「奥村晃作短歌ワールド」に惹かれます。ギターも奏でる名長老歌人が自らサイトを手造りした時代感覚に脱帽です。