昭和初期 水原秋櫻子 阿波野青畝 山口誓子 高野素十は高浜虚子「ホトトギス」門下の4S
または西〈青誓〉東〈秋素〉と呼ばれましたが、俳句に短歌的叙情を持込んだ秋櫻子は昭和6年、誓子も昭和11年相次いで虚子門下を離れます。忠実な素十は客観写生を守り「叙情を拒否して叙情を得た」と評価されています。
短歌の流れるような叙情の調べは、むしろ俳句の世界では忌むべき邪道とされ、短さ故に流れを絶ち叙情を突き放すのが、最良の品格とされてきたからです。
ここにダンスが詠まれなかった最大の理由があるような気が致します?・・・
昭和初期(1946年に雑誌『世界』で)仏文学者桑原武夫は第二芸術論を展開しました。
高浜虚子を名指しして批判し大変話題になりました。しかし当時の俳壇で最大勢力だった高浜虚子らのホトトギス派は、何故か何ら反論できなかったそうです。
批判の論旨は、「俳句は、その流派の宗匠や師系を絶対的に尊重しながら、宗匠の作る句を無条件で有り難がる傾向があり、結社仲間や同好者だけの極く狭い限定世界に生きる人々の、粋を気取どる手遊びの文芸、つまり2nd Rankの芸術だ!」と。
結社の歌人や業俳家は、動的拡大能力よりむしろ心象静的理論に優れており
つまり運動は不得意(ダンス音痴?)で肢体制御や感覚(リズム音痴?)を司る右脳よりも 言語や理論を司る左脳が発達した人々 時には病気療養 異常体験や逆境から立直りたいと・・
または既に克服した人々から成る文芸集団であったのかもしれません。
やや俳句傍系になりますが 大脳生理学者品川良夜(本名嘉也)がネットで提唱した 「右脳俳句」はユニークな活動です。電脳歌人は今時珍しくありませんが、WEBで展開する「奥村晃作短歌ワールド」に惹かれます。ギターも奏でる名長老歌人が自らサイトを手造りした時代感覚に脱帽です。
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