ダンス句詠んでみましょう



俳句の解釈


 短詩系の文学特に俳句では、一旦詠手を離れ読手 特に評論家の手に渡ると作者の意図と異なる別解釈が生れます。優れた俳句評論によって後世の評価が定まった例は別に珍しくありません。以下は「現代俳句」山本健吉の評価です。

 
   づかづかときて踊子にささやける  素十

 ・・一刷毛の荒々しいデッサンで盆踊り風景の一こまを力強く鮮明に描き出した。ドガのような動きの一瞬をとらえたデッサンである。その動きをとらえただけで、男女の説明は何一つ不要である。〜リズムに乗った踊場の秩序を乱すある空気の動揺は確実に捕えられて〜青年の無遠慮さや大胆さが活写されている。

 素十の
「づかづか…」は実は容認された欧米のダンスマナーであり、そこに気付けばこの句がダンス詠の句で明らかに盆踊句ではないことが解ります。

     
1)男性が女性を誘い女性は誘われるのを待つ 
     2)男性は女性をエスコートする 
     3)誰とでも踊る 特別な理由が無い限り応ずる

 欧米ならずとも踊りが上手く、美形の女性はフロアーの花形でクイーンです。
男性は争って誘いに行かないと組めるチャンスを失います。フロアーで踊りつつある男女にさえ「My turn 今度は僕と踊って下さい!」partner changeをマナーとして要求できるのです。だから
「づかづか…」だったのです。

 山本健吉の一連評論が、日本のダンス句を砂漠の不毛地帯に追いやったのではあるまいかと・・・叙情を突き放すことこそが俳句の真髄と決め込む業俳家の集団的無意識だったのではあるまいかと・・・昭和初期、山口誓子、西東三鬼、三橋鷹女が生きた時代にせっかく日本に芽生え始めた
Dance Poetry,ダンス詠の句を育成復活できたなら、短詩系文学を別な穀倉地帯に運んだかもしれません。

 素十句を芽吹いたダンス句として詠み解けたなら、更に江戸川柳の艶句(
バレ句)を品良く前向きの愛に昇華させ得たなら、「和魂洋才」で欧米文化と融合された叙情詩俳句が、誕生したのかもしれません虚子の誓子批判、新興俳句の三鬼、超現実詠の鷹女以来の、短歌的様式美で欧米のダンス文化に追いつく可能性を秘めて、日本的ダンス句や叙情詩俳句が復活誕生していたのかもしれないのです。

ダンスは 原始の昔から祈りや愛のかたち、運動機能の だったからです。

  愛は 過去の涙の 棲家 じゃありません! ダンスはもっと自由で良い
     思いおもいの詩歌(うた)をまとって生乾きの自我を包み隠さず
        ●さあ 意気、行き粋きで、踊ってみましょう


 社交ダンスの画像






結びに代えて

Nifty@homepage(アット・ホームページ)11月閉鎖に伴い2016年 9月本サイト移設開設

 短歌は無論、かって男性主導の俳句が何故急速に中高年女性の間に広まり 社交ダンス人口が巷でかくも膨れ上がったのでしょうか? 

 昔原宿界隈に筍子族が出現、今若い女性の「よさこいソーラン踊り」、商店街「サンバカーニバル」では裸の婦女子が自由に飛跳ねます。一昔前異質だったハグやキスも今や巷ではごく普通の日常、社交ダンスは無論、フラダンスやジャズダンス サルサやレゲエをみれば踊りの質の変化に気付くはずです。

 もはや慎み深い和舞の「静的な縮む様式美」ではなく、洋舞の「動的な拡大発散美」と映ります。そうした積極的・活動的な女性達の姿勢を逆に(美意識過剰なお化粧男子や草食系男子の姿を嘆きながら
)以下詠みたい位です。

   
そぞろ寒づかづかと来るドレスかな  踏基  

 元ポルトガル大使で滞日中は日本人および日本文化に深い関心をよせたマルティンス(Armando Martins Janeira)の言葉をここに引用付記致します。
 
形式に堕落が無かったとしても俳句や短歌はテーマの繰返しの点では堕落した。西洋から新しい風を吸い始める前 日本の詩人達は同じイメージと同じ思想をろくに変化を加えないで再生産してきたのである  

 最後に、イタリア文学者佐藤三男氏の前述コメント・・俳句を叙情詩として見直してみれば、別の道があるのではないかと思うようになりました(参照:季のしらべ)・・の提案フレイズを再録して終わりたく存じます。浅学非才を省みず ダンス領域から伝統俳句に不遜な偏見を述べましたこと重ねてお詫び致します。ダンスも俳句も肩肘張らず閉じ篭らず、もっと愉しむ人々が更に増えることを祈りながら・・・

●ダンス人は、ダンス俳句、
Dance Poetryを詠んでみましょう
●俳句人は、ステップを少しずつ覚えて、ダンスを踊ってみましょう 
●恥ずかしがらず「生乾きの自我」を表に晒し、階級移動の夢を楽しみましょう


 自ら己を煽てながら身体を動かして左右の大脳をもっと刺激してみてください。
ひょっとすると心の原風景が見えて人の苦しみや痛みがよりわかるようになるかもしれません。きっと充実したもっと楽しい「いきいき人生」が待っていることでしょう。

  
いいえ!今からでも決して遅くありません。



当世流の「ダンスのスタイル」ダンス句番外編

Dance Poetry 育成復活を願って